「ちょっとさっきなんで私にふったのよ。部活は止めるつもりなんだってば」
 授業も終わりようやくの昼休み。私はつくづく不愉快に思っていたことをあの彼女に抗議した。
「え、さっきって?ああ菊地くんとしゃべってた時ね。いやなんか2人で話すのも微妙だしさぁ、サワちゃん暇そうだったし」
 そう言ってふああ、と呑気に欠伸をする。私のムカムカはさらに募る。
「暇って、授業中じゃんか。しかもあんまりしゃべったことない人を交えてなんて・・・」
「でも菊地くん案外話し易かったでしょ?悪い人じゃないよ〜」
 いやだからそういう話じゃ・・・と私が口を挟もうとした時、

「坂城さん、ちょっと来てくれる?」

 と後ろのドアから声がかかった。
 とっさに、厄介ごとか、と思った。
 残念なことに、こういう勘に限って大抵の場合当たるのだ。





「もう1ヶ月も部活来てないじゃん。もうすぐ総体なんだけど、出る気あんの?」

 うなだれる私を言葉で攻め立てるのは2年のテニス部部長だった。
 長身のショートヘアー、バリバリの体育会系女子で、一部にはコアなファンも居るほどの人気だとか。
 でもそんなこと今の私には全く関係ないわけで。
 ファンどころか、冷たい目線で私を見下ろすその人を、私は今や敵とみなしていた。

「みんな必死にレギュラーとれるように練習してるんだよね。でも少数の人間が足並みを乱すから、部全体の空気が悪くなってんの。わかるでしょ?」
 
 はぁ、と返事をすると気のなさが伝わったのか、先輩の口調は益々不機嫌になった。

「正直言うと、やる気ないんならスッパリ辞めてほしいんだけど。道具も部室置きっぱなしで邪魔だし」

 しびれをきらして本音が出始めたか。
 目の前の人間のわかり易すぎる感情を読んで、心でため息をついた。
 シビアな言葉も、こんな冷めた脳では網戸を通る風のようにすり抜けていく。
 少し間考えるふりをしてから口を開いた。

「わかりました、辞めます。道具は今日取りに行きます」

 そういうと先輩は満足したのか「そう」とだけ言ってさっさと立ち去ってしまった。
 もともとあまり会話したことのない先輩だったが、これでもう二度と関わりあいになることはないんだろうな、とふと思った。
 まあ丁度よかったかな。これでヤツにテニスのことを聞かれる口実もなくなった。
 
 誰もいない廊下で一人、せいせいしたわと呟いた。



 その日の放課後。


 久しぶりに立つ部室前。
 部員たちが皆コートに出て行く時間を見計らって出てきたので人の気配はない。
 そっとドアを開くと独特の匂いが立ち込める。
 もともと古くて汚い部室だったが、部員達の横暴の結果まるで樹海のような有様だ。
 床を埋め尽くすカバンと服の山。それらはすべてロッカーに入りきらなかった部員の持ち物なのだから驚きだ。
 間を縫って一番奥のロッカーを開く。しかしそこには見覚えの無い短い制服がさも自分の場所だと言わんばかりにかけられていた。
 近辺を調べると、ロッカーと壁の間のわずかな隙間に、埃を被った私のラケットがゴミと一緒に押し込まれているのを発見する。
 取り出してグリップを握る。久しぶりの感触だが、もう振る気にはならなかった。

「もう、止めてるも同然じゃん」

 一言言い残して部室を出る。
 部室の扉がこんなに重たいものだとは知らなかった。





「そっちコートじゃないよー」

 試行錯誤してラケットを自転車のカゴに詰め、ようやく家に帰れると安心した刹那。
 頭上から降る声にペダルをこごうとする足が止まった。

「行かないの?部活」

 見覚えのある茶髪が私を見下ろしている。
 肩からラケットを下げ、見たことのない色の体操服を着ている、彼。
 
 露骨に嫌な顔をするわけにもいかず、ぐっとこらえて返事を返した。

「行ったじゃん、幽霊だって。この際はっきりした方がいいから、辞めることにした」
「え、そうなの?もったいないよ、一緒にやろうよ」

 たまたま2回席が近いというだけで、なぜそんなことが言えるのか。
 別にこんなヤツと友達になった覚えもないし、会話だってまともにしたことないし。

 正直放っておいてほしい。

 黙りこくっていると彼はトントンと小刻みに音を立てて階段を下りてきた。

「嫌いなん?部活」
「そうじゃないけど・・・」

 文句を言ってやりたい。私にかまうな、勝手にどっか消えろって。
 でもどうしてか、上手く言葉が紡げなかった。

「部活の雰囲気が悪い?」
「違う」
「あんまり上達しないからおもしろくない?」
「違う」
「先輩とかと関係が悪い?」
「・・・違う」
「じゃあ、なんでよ?」

 『だから私が知るかっての。』

 心では無茶苦茶に罵りながらも、現実の私はただ黙って俯いているだけだった。

 『なんか今日下向いてばっかだなあ。ほんと、イヤんなる。早く帰りたいな』

 もう彼への回答を考えることも諦めて、私は自分自身の不運をひたすらに呪った。

「・・・俯いてると、また不機嫌に見えるよ?」

 知るかい。実際不機嫌なんだってば。

「まあ気が向いたら部活来ようよ。俺、坂城さんと一緒にテニスしたいからさ」


 ・・・え?
 

 今、何て言った?


「じゃあね、気をつけて帰ってな」


 その場で凍る私を置いて、彼はバイバイ、と手を振るとテニスコートがある方へと駆けていった。



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