park




涼しい風が頬をかすめ、頭の上の木の葉を揺らす。
 
さわさわと心地よい音が響き、俺はポリポリ頭を掻いた。
まだ5月とはいえ、射るような日差しの下とこんな日陰のナイスポジションとじゃ温度は月とスッポン、いや、百合とぺんぺん草、それこそ松島菜々子と山田花子くらいに違う。

 ん、そりゃ言いすぎか。

なんて一人ツッコミを入れながら、その日俺は近所の市民公園で朝からぼーっと景色を眺めていた。
しかし芝生の上にむりやりパラソルを立てて必死にうちわを動かす家族連れを見ると、少々不憫に思えてこなくもない。
彼らがそんな労力を使わねばならなくなっているのは、このベンチを占領しきっている俺にも責任がないとは言い切れないからだ。
 
 いや、てゆうか俺のせいだろ。
 
 またしても一人ツッコミ。さみしいね。

でも彼らはずうずうしくベストポジションのベンチと二つも占拠している俺になんの文句も言わない。
文句も言わない代わりに、なんの注意もよこさない。うーん、まるで天国だ。
まぁたまにかわいいお子様方がふいに俺に接近したりすると、「変な人と関わっちゃいけません!」とばかりに殺意のこもった目で俺を見つめてくるのはキツイですが。
別に俺はホームレスでもなけりゃ、子供を攫って一儲けしようなんてたくらむバカヤロウでもない。そんな見た目だけで判断されるのは心外だ!
・・・と、言いたいところですが。
まぁね、何を考えてんのかわからんいい年こいたおっさん(自分ではお兄さんだと思っているが、いちおう自重)が、晴れ晴れとしたさわやかな日曜の午後に公園で一人ぼけっとしてる姿は『あの子にしようかな』なんていたいけなターゲットを物色している変態くんに見えなくもないですよ。そこは認める。

 しかしね、俺としても彼らにフレンドリーにしてほしいとはまったく思ってないので、好都合っちゃぁ好都合。結果オーライだ。

おもむろに胸ポケットにてをつっこみ、今日何本目かになるマルボロ赤の味を嗜んだ。
昔あいつに『あんたには一生似あわない』といわれたいわくつきの代物。
切れかけのライターで火をつけ、頭上に向かって白い息を吐いた。
 やっべ、これじゃ大気汚染だ・・・



「大気汚染だね。」



聞き覚えのない声に視線を落とすと、そこにはやっぱり見慣れないガキンチョが突っ立っていた。白いワンピに麦わら帽子。
少し内股なのか、きれいな赤い靴はそろって中央を向いている。いかにもお嬢様って感じがしなくもない。ヒラヒラと裾を揺らしながら、その子は俺の隣に座った。

「タバコは駄目なのです。お母さんが言ってた。」

 妙に気に障る喋り方をするもんだ、と俺は思った。なんでだ?口調はやけに丁重なのに。

「タバコは体に悪いのです。吸ってる人だけじゃなくて、隣にいる人にも悪いのです。」

 そう言って、お嬢さんは俺を見た。

「・・・じゃあここじゃなくて他のところに行こうね。パパとママはどこだ?一人でいると、おっちゃんが食っちゃうぞ。」
「ママはお仕事があるから。パパは、ちなが赤ちゃんの時にどっかいっちゃったって言ってた。」

 あ、そう。それはわかったけど、だからなんなんですか君。

 とは聞けず、俺は軽くふうんと相槌をうった。

「いい天気です。」
「あー・・・あのね、君、ちなちゃんだっけ?つーことはここに一人できてんの?おばーちゃんとかは?」
「おばあちゃんはアタリに旅行です。」

 宝くじに当たったわけではあるまい。たぶん熱海だろう。
 もういいわ、この子がなんだろうが俺には関係ないし。ヒマつぶしの話し相手くらいにはなるだろう。
 そう腹をくくった俺は、それからしばらくちなちゃんの話に耳を傾けた。
 
どうも彼女はやっぱりお嬢様らしい。幼稚園での仲良し5人組や、クラスで一番かっこいい人気者の高島くんのこと、そいでもってこの間給食にステーキが出ただのおやつがパンナコッタだっただの、現在の幼稚園環境の片鱗をぞんぶんに語ってくれた。
挙句の果てに「昨日の晩ご飯はフランス料理だった」なんてぬかしやがりました。いやみか、コラ。

「ちなのママはとってもきれいなのです。」

 何よりもうれしそうに頬を染め、ちなちゃんは言った。

「それに優しくて、とってもかっこいいのです。ママはべんごしさんという仕事をしているのです。」

 弁護士、か。

 そういやあいつもソレになるんだって俺の部屋出てったな。

木造四畳半の下宿。貧乏大学生の俺には精一杯の王国に招待したら『きたな!』と一瞥して帰っていったあいつ。
でもまああいつみたいな生粋のお嬢様にはカルチャーショックも甚だしかったのかもしれない。だいたい俺みたいな甲斐性なしとけっこう長い間付き合ってたってのが不思議な話だ。
俺の学生証を偶然あいつが拾わなければ、俺たちが出会う可能性なんかケシカスくらいのもんだっただろう。実際、そんなもんだったし。
あいつはお嬢様学校に通ってるくせに、その言動はちっともそれっぽくなかった。出会って開口一番が「兄ちゃん、今時アイドルの切り抜きははやんないよ」だからな。(そのころ俺は大好きなバンドのボーカリストのブロマイドを学生証の中に入れていた)
でも、人生ってやっぱり何がおこるかわからない。
 
 その後めでたく二人はつきあうようになったんだから。

「聞いてますか?」

 俺はちなちゃんの声ではっと現実に戻った。

「ああ、聞いてる聞いてる。」

 その返事に安心したのか、彼女はまた一心に母親のことについて語りだした。

そういえば、ちなちゃんの字はどうやって書くのだろう。
俺の知ってるあいつは、子供にひらがなの名前つけるってはしゃいでたな。しかも俺の試験前に。『まりも』とか『みかん』とかふざけたネーミングセンスで、俺の頭をそれはもう乱してくださいました。
「やっぱり三文字だよね。」
「は?なんで?」
「だってセンヤとミナツの子供でしょ。三文字にきまってる。」
勝手に結婚するもんだと決め付けて話すあいつは、どういう気持ちだったんだろうか。

俺は大学を卒業したら、プロポーズするつもりだった。
でもどうしたことか、彼女は突然アメリカに行くと言い出した。
「俺じゃ頼りないのか。」
 そのときの俺は泣いていたかもしれない。
「違うよ。待っててほしいの。私ちゃんと勉強して、立派な弁護士さんになって帰ってくるから。そしたらもっと広いおうちで一緒に暮らせるよ。」
「俺は」

「お前に養ってほしいなんて思ったことはない。」

 彼女は、何も言わずに部屋を出て行った。そして、それっきりだ。

その後しばらくして彼女が本当にアメリカに渡ったことをうわさで聞いた。親の大反対を押し切って、単身乗り込んでいったんだとさ。

それに彼女は、どうしても一人で暮らしたい理由があったらしい。
ま、そんなこと今となっちゃ俺に知るよちもないが。


「ママはいつもちなに言うのです。」

「男の人を選ぶときは、お金じゃなくて、その人の中身で選びなさいって。どんなに汚いところに住んでても、心のきれいな人はいい人だからって。」

「あと、タバコを吸う人でも、赤い箱なら捨てたもんじゃないって。」

ふふふ、とちなちゃんは小さく笑った。>
そういえば、彼女の横顔は誰かに似ている。大きな瞳に長いまつげ。すっとのびた鼻筋。
けれど、どこかが違う。
その少したれぎみの眉、肉付きのわるい唇・・・・


 誰かと誰かを、足した、みたいな。


 俺は呆然と彼女を見ていた。まさかな。そんなはずないだろ?


「あ、ママだ。」


そう言ってちなちゃんはベンチから離れ、俺にバイバイと手を振った。
その先の入り口に、日傘を差した女が立っていた。
長い髪、大きな瞳。不敵な笑みを浮かべ、俺を見ている。

「ちなつ、帰るよ。」

 はぁいとちなつちゃんは返事をして、その女のもとへ駆け寄った。

 まじかよ。ちなつ?

『千夜』と『美夏』と足してちなつってか?
相変わらずたいしたネーミングセンスだよ。




 やっぱり人生なにが起こるかわかんねぇな。

 だからおもしろいのかもしれないが。